PCが歩んでいる・歩んできた・今後歩むであろう生き方予測覚書:九雀編

 

完全なる自己満足なのでMSさんもPLさんも読まなくていいです。興味があればどうぞ。たまに加筆修正します。

 

 

九雀の話:

彼の主題は『責任』と『もう一度君を生かしたい』。

そもそもの定義として、あの仮面と『九雀』は別人である。
何故なら仮面は死んだので。仮面は『死ぬことを選んでしまった』ので。仮面が愛していた関係や辛うじてできた(そして狂っていた)友人や、こいつがなんかもっと楽しく生きていけるようにできたらいいのになあ、なんかもう少しくらいこいつが幸せになれる環境にできたらいいのになあと思考の片隅で思っていたあの少年が、驚くほど簡単に失われてしまったあの時、あの輝かしかった日々というのが失われてしまった時、仮面は『自分』というものを殺すことにしてしまった。そこまでするほど辛かったとかそういうことではなく、「友人たちにそれを失わせた」ことに対する責任として、仮面は己もまた『失われる』ことにしてしまっただけである。彼は『己の痛み』で物事を判断しない。いずれにせよ結果として彼は事実失われ、仮面は既に仮面ではない。

彼はあの日、悔いていたわけではない。というか、仮面はそこまで殊勝ではない。基本的な性格として、自分勝手に生きるのが好きな奴だからである。ただ、『その結末を招いた自分自身の無責任』には文字通り死ぬ程怒り狂った。多分、生まれて初めて。
勿論ヴィランの方にもブチギレてはいた。『これは殺しておかないとダメな生き物だったんだな』と悟ったし、『自分の子供を殺した責任を負うべきだ』と思った。何しろ男は生まれながらに『壊れていた』。男は『大事である』ことと『大事にする』ことが繋がらない人間だった。それの意味を仮面はその瞬間まできちんと理解できていなかった。だから仮面は、『止められたはずの結末を止められなかった』仮面は、男と自分を殺してしまった。

多分、記憶を失っていなくても、彼は仮面でなくなることを選んだ。彼は自分が壊してしまったあの少年の人生の続きを歩みたい。
『あの少年をもう一度生かしたい』。それが結局、彼の望みであり願いであり罪であり罰であり贖いであり、もしかすると祈りでさえあるのかもしれない。
それ故に彼の命は最早仮面のものではなく、『九雀』のものなのだ。
だから『九雀』は、肉体のことをまだ『生きている』と言う。命があるので。少年の人生の続きを彼が歩き続ける限り、あの肉体は九雀の中で死なない。
因みに、九雀の名前については、最初UDCが日本を中心に発生しているらしいということで日本に住もうと思って日本っぽい名前を適当に付けただけで、本名には掠りもしていない、というかそもそも彼は自分たちの本名を知らない。日本で住むところを考えている時にあのよくわからない屋敷と出会ったのでそちらに住んだという経緯。彼にとって重要なのは『九』という数字だけである。

某所にて親心に見える、と言われたので、九雀のあれは親心なのか、ということを考えるに、九雀本人(本仮面?)は多分否定するのではないかと思う。九雀、と言うか元々の仮面にとって、あの肉体の親はヴィランである。なので、仮面は基本的に、(強化人間の幸福獲得の一環として)「ヴィランと強化人間の親子関係を是正してやりたかった」というところが多少はあった(そしてそれは他者に対する傲慢だとは理解していた。だからこそ仮面はかつて「どうかと思うぜ」と言うだけで手を出さなかった。仮面には『それを是正させた結果』がどう転んだとしても『他人の人生に対して責任が取れない』からである。他人の人生に口を出すのであれば、最後まで責任を取らなくてはならないと仮面は思っていた)。少なくとも仮面の方は。なので、九雀も一応、「親心……かもしれないけれども、親になりたいわけではない……」となる。おそらく。尤も、父性や母性ではあるのかもしれない。ただあれはどちらかというと「名前も知らないのに友達と言ってもよかったくらいのやつらが苦しんでいたので、出来る限りのことをして、どうにかしてやりたい・やりたかった。そのためにこれからの『命』を賭してもいい」という感情に近いのではないかと思う。それはそれとしてヴィランは殴る。お前はお前がやったことをもう少し反省しろと思っている。普通自分の子供の顔面焼き潰して人格壊してさあ乗っ取ってみてくれなんて言わねえんだよ。いや普通じゃないのは知ってたし、 そう言うとこが『お前』だったんだから、別に矯正すべきだとも思ってなかったんだけどさあ……。俺の我儘なんだろうよ、わかってる。それでもお前には、お前だけにはそんなことして欲しくなかったんだよな。そんな気持ちになる仮面。
とにかく全体的に感情がデカすぎて、色んな感情が含まれているため、一概に「そうではない」とは言えないが、「そうしたい」わけではない。はず。
真面目な話としては、ヴィランも一応仮面にとっては友人なので、男の立場にとって代わろうとは思っていない、というのが多分大きい。仮面はずっと、あの二人がなんだか楽しく過ごせたらいいのになーとぼんやり思っていたので、ヴィランが親としてちゃんと強化人間を愛してやれる環境みたいなものを欲しがっているところは少しある。だから彼は『子を失った親の哀れはわかる』と言う。

ただ九雀は、 記憶と人格が大破して欠損した結果の、残骸としての断片により、最大の命題として、『この肉体を幸せにしてやらねばならない・楽しく過ごせるように立ち回ってやらねばならない』という最早執念じみた何かを抱えている(それ故に彼は『楽しくないことはやらない』と言って行動する)ので、それは実際親心に似ているかもしれない。まあ、それはそれとして腕は折る。義務を達成するのに必要なことはするし、敵に操られている時点で、それは『敵』であって攻撃対象なのである。腕の一本くらいがなんだというのか、死んでなければどうにかなるだろ。そんな精神。それよりも『生きる』ことが大事。一応、痛いのはあの子が泣くので、あまりやりたくはない。なので最近は、鎮痛剤を検討中。ついでに言えば、あの時は割と『仮面を剥がされそうになってキレまくっていた』というのが大きくはある。基本的に中々怒らない(感情処理落ちバグの上、厳密に言えば怒るほど何かに期待や執着がない)仮面だが、怒った時は相手が焦土になるまで怒るのでああいうことになる。

これからどうなるかということについては、まず彼は、ヴィランがオブリビオンとして生き返っていることを知らなければならない。彼の無責任の清算がまだ終わっていないことを知らなければならず、そしてそれを彼の手できちんと殺さなければならない。私は――PLとしてというより作家としての私は――物語の『始末』をきちんとつけなければならないと思っているので、九雀が『自分の友人を殺すだけ殺して逃げだしたこと』の始末をつけなければならないと考えている。彼の無責任により少年を失ったことについての始末は彼が仮面でなくなったことにより贖われていると考えるが、彼がヴィランを怒りによって殺害したことについての始末というのは、今の彼ではまだ清算しきれていない。それについての対価、始末、代償というのを、彼はまだ支払っていないのだ。それ故に、彼はあの男に会わねばならない。あの、かつての友人の残骸と。
彼は友人を二度殺す。それが彼の生き方の『ツケ』である。

その後は、その時の結果による。上手く殺せたら、多分、もう少し九雀は、『自分自身』を理解するようになるだろうし、己の虚無以外のものにも価値を見出すようになるだろう。駄目だったら現状維持どころかそのまま虚無が広がり、結果として感情がまた処理落ちでバグるだけです。

あの日の少年が帰って来るかどうかについて考えると、多分帰ってこない。何故ならあの日の少年とは、壊れた人形から映し出された影法師のようなものでしかなく、取り戻せるような類のものではないから。仮面は蝋燭で揺れる影を愛していたのに過ぎない。彼が取り戻そうとしているのは本質的には幻であり、例えば彼が『あの日の少年を取り戻したい』として肉体を奇跡的に治せたとしても、戻って来るのはまず間違いなく、元々の『青年』の方である。それを仮面は理解していない。だがヴィランは理解していた。だからこそ仮面を壊した、というところもある。だってそれは、仮面が可哀想だろう? 戻ってこない幻を追い続けるのは辛い。それはかつて俺が通った道だよ、俺の子供は帰ってこなかった。君はそれでも俺の友達だったんだ。まあそれはそれとして、君は記憶を失ってもその肉体に執着するのかとか、操ったままでいられるのか、とか諸々気になるからとりあえず壊れてみてくれないか! 楽しそうだ! そう言うとこほんとクソ野郎だなぁって仮面は思っている。思っていた。
そしてそもそも、仮面が少年を失ったのは、彼の無責任への報いである。報いが覆ることはない。贖いによってようやく帳尻が合う類のものであり、その贖いに対しての報奨などは有り得ない。それは彼への罰なのだ。